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長谷川一夫 (野球) : ウィキペディア日本語版
長谷川一夫 (野球)[はせがわ かずお]

長谷川 一夫(はせがわ かずお、1945年1月3日 - 2013年4月24日)は、埼玉県さいたま市(旧大宮市)出身のプロ野球選手である。
== 来歴・人物 ==
埼玉県立大宮工業高等学校三年生の投手だった、1962年7月16日全国高等学校野球選手権西関東大会の対埼玉県立秩父高等学校戦に一試合21個の奪三振を記録。この記録は、今も埼玉県での高校野球最多記録として残る。
1963年に当時の大毎オリオンズ1964年より東京、1969年よりロッテ)に入団。大毎のオーナー永田雅一が「大映(大毎の経営母体である映画会社)の大スター長谷川一夫と同姓同名」という理由で入団させた。入団当初は投手だったが大成せず外野手に転向。1972年にはライトの定位置を獲得。翌1973年にはオールスターゲームに出場した。
1977年クラウンライターライオンズ1979年より西武)に移籍。1978年7月11日の対日本ハムファイターズ戦の9回二死一・三塁の場面で、1試合だけ投手として出場したが、最初の打者ジーン・ロックレアにサヨナラ安打を許した。1981年限りで引退し、2006年まで西武のスカウトをつとめた。
2013年4月24日死去〔長谷川一夫さんが死去 元プロ野球大毎、クラウン選手 朝日新聞 2013年5月9日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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